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「 Solaris 」とは、、、再び

副題
「Solaris」 とは > から1年後に読む 「Solaris」に付いての考察と戯れ言

ふむ、やはりレムの小説は非常に興味深いな 
しかし、新たに読んだり、再度読み返したりする度に、なんだ、
課題の山と、調べ物の山と、考察の量が、其れこそ半端なく増えて逝ってしまうのは一体どうした事なのだろうか、、、orz
まぁ、其れを愉しんだ上で「此ぞライフワーク」とか言えるからこそ、彼のファンを長く続けて居られるあり、「自称・不肖の弟子」とか呑気な事をほざいても居られるのだけどねw

はい、皆様今晩は
と言うか、此の日記をUPする頃には恐らく夜が白々と明けて来る時間帯であろうとは思いますが、取り敢えず今は丑三つ時です故「今晩は」と申し上げておきましょう
またもや前回より1ヶ月を経過しておりますが、お変わり御座いませんか?
此方はと申しますと、、、
やっと新兵の赴任が完了したのが、本部の都合により黄金週間をとうに過ぎた5月中旬!
しかも、其の後、此奴を使える状態にまで調練するのに些か手間取りましてね
何とか使役に耐えうる様にまで底上げを終了するのに、更に2週間程が経過
未だに辞書とか真っ白な状態が続いておりまして、可成り使い辛いです(困
お陰様ですっかり「フィラデルフィア管/セガン」コンサートの感想をかきそびれています
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其の内、チェコフィルと併せ「前後編全2部作」でお送りしようとは思っておりますが
まぁ、もの凄く簡単に書きますと、、、
今秋の「読響/スクロヴァチェフスキー」に期待、と、、、^^;;
1126 Skrowaczewski
後は察してくだせぇ、、、orz

とか言いつつも、ようやく色々と余裕、主に精神面ではありますが、出来て来ました
其処で、此の所、初版でいそいそと購入しておきながら、今まで手付かずだった「国書刊行会」版の「Solaris」をやっと読み始める気になりましてね
現在のお昼休憩は「Solaris」片手に音楽三昧で御座います
はい、またしても完全に私独りの世界に塡まり込んで居ます ^^;
無論、心優しい同僚達は今までと変わりなく「放置」してくれて居ます
いやぁ実に有りがたい事です
只今ようやく7合目なう!と言った所でしょうか
ま、此についてはちょいとばかし事前の説明が必要かと思われます
否、私が読めなかった「理由」ではなくて、「国書刊行会」版の「Solaris」が所謂「完全版」と言われている事情に付いて、ですが

前に何度か取り上げて居ますけれど、
スタニスワフ・レムと言う人はポーランドの作家です
一寸wiki君に触りだけ紹介して貰うと、こんな感じ
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スタニスワフ・レム (Stanisław Lem, 1921年9月12日 - 2006年3月27日)は、ポーランドの小説家、SF作家、思想家。
ポーランドSFの第一人者であるとともに、20世紀SF最高の作家の一人とされる。
また、著書は41の異なる言語に翻訳され、2700万部が販売されており、世界で最も広く読まれているSF作家である。
代表作に、2度映画化もされた『ソラリスの陽のもとに』など。by.wiki 

リンク先を読んで頂ければ判りますが、所謂ソヴィエト連邦「鉄のカーテン」の向こう側に居た人です
当時、日本語訳はロシア版の重訳が殆どでした
重訳とは、原文を翻訳した外国語の文をさらに翻訳すること、を言います
此の場合、原語はポーランド語ですから、其れのロシア語版を更に日本語に翻訳して出版して居た訳ですね
無論此では、原典の正しいニュアンスが伝わらない、と言うデメリットがあります
ま、ニュアンスだけならまだ良かったのですが、所謂「検閲」が至る所に入ってるのがロシア語版な訳でして
結構な箇所、削られて居たのですよ
無論、そう言った事情があるだろう事は判っては居ましたが、ぶっちゃけ何も無いより遙かに「マシ」です
そう言った様々なリスクを知りつつも、私達ファンは彼の新刊を今か今かと待ち望み、出る度喜び勇んで購入して貪る様にして読んだものです
時代が変わり、ソヴィエト連邦が解体し、目出度く「改訂版」が出される事になりましたが、何故か「其れ」は完全版では有りませんでした
此が、飯田規和訳 『ソラリスの陽のもとに』です
9784150102371 A5bda5e9a5eaa5b9
(早川書房・ハヤカワ・SF・シリーズ3091 1965年、ハヤカワ文庫SF、初版1977年、ISBN 4150102376)

2004年にようやく原語であるポーランド語からの翻訳版が出版されます
此が私が今正に読んで居る、沼野充義訳 『ソラリス』です
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(国書刊行会 2004年・ ISBN 4336045011、「スタニスワフ・レム コレクション」の1冊)
で、予想通りと言うか、当たり前と言うべきか、此が非常に面白いのですね
今回、「検閲」でCutされて居た所が文字通り全文翻訳されて載って居るのですが、其処を中心にして全体が物凄く興味深い
流石は「思考の師」だよ、と思わせる箇所ばかりです

今回、私にしては珍しく訳者の後書き(解説)から読んだのですが、確かに削られて居た部分の前半は読み辛いですね ^^;
うん、訳者沼野充義氏の仰る通り、つい読み飛ばしてしまいがちな箇所です
でも、正に「彼処がレムの真骨頂」な訳で、不可欠なんですよね
と、言うか、さ
あれ、彼処を読まないと「レム」じゃないじゃんw
あの箇所にこそ、彼が本当に書きたかった事への揶揄や暗示、思考の方向性、主題なんかの隠された提示があるのに
まぁ、確かに其処を読まなくとも、有る程度は読み取れますけれどね
より正確に彼の思考追うのであれば、其処を飛ばす訳には行きません
丁寧に読む必要があります
だって、もの凄く貴重な手がかりになるんですよ、勿体ない
で、削除部分の後半は、と言えば、、、
ああ、ソヴィエト連邦だから削除されたなw、とモロに判る内容と言うか、件ですね
其方も非常に興味深い
個人的には、彼処を丹念に読み解いて行けば『大失敗 (Fiasko)』に登場する「アラゴ」の意味と其の存在意義について何か判るかもしれない、と思って居ます
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此方も、私にとっては一連の彼の作品を読み解く上で、物凄く貴重な手がかりです
もはや勿体ないとか言うレベルではありませんw

しかし、後書き解説を読むまで「Solaris」を恋愛小説ととらえる人が多い、なんて知りませんでした ^^;
正に「驚愕の事実!」と言う奴ですw
そして、何と言いますか、、そうじゃないだろう?!、、感が半端ないです
何をどう読み間違うと「Solaris」が恋愛小説になるですかね?
果てしなく不可解なんですけれど、、、ー"ー
理解出来ません

ああ、ざっと「あらすじ」をwiki君から引用しておきましょうか
こんな話、と紹介されています
------------------------------
時代は未来。
舞台は、異常な軌道を持ち、有機的な活動を見せる不可思議な海で覆われた惑星ソラリス。
主人公ケルビンは惑星上空に浮かぶソラリス・ステーションに到着するが、ステーションは半ば放棄されていた。
そしてケルビンは死んだはずの恋人が出現するなど、奇妙な現象に悩まされ始める。
同僚の科学者達にも同じようなことが起きており、これらの現象は異常な軌道とともに「海」が原因らしい。
ケルビンらは、自殺した研究員ギバリャンの記録をヒントに「海」と接触を図る。
by.wiki
-------------------------------
ま、割とまともな紹介ですね、此
色々細かい所に異論はありますけれど ^^;
って、言うか
主役は、ケルヴィンじゃないと思うのですが、、、
主役は、ソラリスの「海」其の物でしょ?
どう考えてもw
ああ、もう、此所からして既に、、、orz
因みに、此の「主人公」ケルヴィンの死んだ筈の恋人(ハリーと言います)は、20歳の時に自殺して居るのですよ
原因はケルヴィンにある、とされて居ます
此の辺りの「設定」を必要以上に拡大してロマンチックにしちゃったのが、タルコフスキー監督の映画「惑星ソラリス」なのですがね
此を原作者のレムが
「あれ(映画)はソラリスなんかではない。
彼、タルコフスキーは(ドフトエフスキーの)罪と罰を描いたに過ぎない。」
と、ま、酷評するに到る訳です
事実其の通りなので、此には反論の余地がありませんw
只、近年もっと酷い "の" が再度映画化して居ます
『ソラリス』(2003年、監督スティーブン・ソダーバーグ)が其れですね
なんと言いますかね、もうぅ トンデモとしか表現のしようがない領域ですよ、アレは
何をどう読み間違うと「Solaris」がハッピーエンドな恋愛映画に仕立てあがるんだ?
其の感覚が全くわからない
と言うか、読解力と解釈の能力が大幅に足りないとしか思えない
推測ですが、此の監督は原典の「Solaris」を読んで居ないではないか、と思います
恐らくタルコフスキーの「惑星ソラリス」を観て、其の甘っちょろい所だけを抜き取り、勝手に改変して作ったんじゃないか、と
しかし、アメリカ人と言う奴等はどうして原作の名前を安易に変えるんですかね
否、名前だけならまだしも、設定変えた挙げ句に、ラストを大幅に変えて居ますね
アレはもう、ソラリスと言う名の別物でしかない
と言うか、ソラリス名乗るな!(怒)
あんな物を作るからレム本人から「嗤われる」んだよ
全くアメリカ人と言う奴は、、、 とねw
(ソダーバーグ自身はスウェーデン系の移民みたいですがw)
まぁ、タルコフスキーも原作の意図を読み間違えた挙げ句、ラストを勝手に作り変えて居ますから、広義では彼も件のアメリカ人と「同じ穴の狢」に過ぎないのですが、、、^^;
それでも、まだタルコフスキーの <郷愁+「罪と罰」> の方がまだなんぼかマシじゃないのかなぁ
否、どちらも結局全くの見当違いなのですけれどね

個人的に「Solaris」は、哲学的なホラー小説だと思って居ます
Solarisの「海」が科学者達にして来る事は、人の記憶を実体化する事
そして其の実体物、作中では「お客さん」とか「幽霊(ファントム)」「幽体F」と呼ばれて居る、に無限の回復性と強大な力を持たせ、其の人物を観察させる
「幽体F」に其の自覚はない
問題は、実体化される物を科学者達、即ち「人」が選べない、と言う事
其の基準と指標は「Solarisの海」にしかない
そして一度選ばれた「幽体F」は、何らかの形で其の存在を抹消されると、また一から再生される
真っ新な状態で、延々と、、、
様々な理由(?)から「幽体F」は其の人物のネガティヴな感情や記憶と強く結ばれた物になる傾向がある
故に「主人公」ケルヴィンの元には彼が死なせてしまった恋人であり、妻でもあったハリーがやって来る事になる
でも、其処だけではホラーにはならない
本当の恐怖は其の先にある
「幽体F」は、謂わば、思考から生み出された思念体だ
人がそう記憶する(望む)通りに再生され、行動する
オリジナルとは違う
何故なら、人が、例えばケルヴィンの場合だと、彼が「記憶して居る」ハリーが再現されるのであって、オリジナルのハリー本体が再生される訳ではないからだ
裏返せば、ケルヴィンの知らないハリーは其処に存在し得ない
なのに、実体化したハリーは徐々にケルヴィンの知らないハリーになってゆく
完璧に再生されるが故に、「幽体F」(ハリー)は本来の彼女の様に、日々学習して成長していく事が可能だからだ
ケルヴィンの元に来たハリーは当初何も知らない
自分が何処から来て何をする為に其処に居るのかすら判らない
唯々、彼の側に居る事を強く望む
其れは決して恋愛感情等から来る物ではなく、単純に「海」からの指示に従って居るに過ぎない
其れは「幽体F」達には抗いがたい物で、本能的、本質的な物でもある様彼等の存在自体に深く植え込まれ、組み込まれて居る
やがて「幽体F」のハリーは自分が何者か考える様になる
そして、自分が何者か知る
記憶から生み出された思念体が自我を持つ様になる
「幽体F」であるハリーは苦悩する
何故なら彼女は「個人」としてケルヴィンを愛して居るのに気づいてしまうから
同時に彼女自身が「海」の道具に過ぎず、彼女の行為(其れは酷く皮肉な事に "好意" でもあるのだけれど)「彼」を傷付けて居る事を悟る
最後は自ら消え去る事を望み、ステーションの科学者、スナウトとサルトリウス2人の実験台となって「消える」
ああ、此を書いて居て気付いた
此所 "だけ" を抜き取ると確かに「恋愛小説」かもしれないねw
何度も言う様だけど、「Solaris」の主題は其処じゃない
Solarisの「海」は何故こんな方法を採択るのか
此等の事象に何の意味があったのか
結局最後まで判らない
只、其れ「幽体F」を送り込んで来た事自体、悪意でも好意でもない、と言う事だけが経験則と科学者達の本能から直感的に知られるに過ぎない
其れは、もしかしたら好奇心ですらなかったのかもしれない
単なる反応、反射と言った類いの物だったのかもしれない
何も判らないし、最後まで明らかにはならない
其れは何度も諄い位書いて来たけれど
互いに全く意思疎通が出来ず、不可知としか言えない状態から抜け出せない
そう言うシチュエーションが宇宙に出たら十分あり得るだろう?
と言う、レムからの指摘であり、主張なのだ

今回、国書刊行会の「Solaris」を読んで居て強く感じたのは、此の話はホラーだと言う事
自身の思念から生み出された物が、一個の独立した生き物になる
生み出された瞬間から其れは独立独歩を始める
此ってグロテスクな神の模倣じゃないのかなぁ
自身の思考と記憶の中に「だけ」あった、或いは無意識の領域に遺った物が、実体化して現れ、自身の手を離れる
そして其奴はもう生み出した「人」の手には負えない存在となる
物理的にも精神的にも、そして倫理的にも
可成り強烈なホラーだと思うのだけどね

訳者である沼野充義氏は <「Solaris」は鏡のような小説だ> と言う
様々なアプローチと設定、事象があって読む者ごとに違った顔を見せるのだと言う
レムによって十重二十重に仕掛けられた鏡の迷宮が「Solaris」なのだと
そうかも知れない
「Solaris」に出て来るSolarisの「海」其の物が「鏡」でしかないのかも知れない
Solarisの「海」に限らず、鏡に意図はない
単に其処に鏡として存在するのみである
其処の前に立つも立たないも己の意思だ
無論、覗き見るのも、覗き込むのも自由なら、無視するも、其の前から立ち去るも自由である
「鏡」其の物に意思や、其処に存在して居る事に対する意味はない
まして悪意だの好意だの、そう言った余計な物
と言うより、より判りやすい回答、と言うべきかも知れないが、
は、一切持ち合わせていない
只淡々と姿を写し、其れを観る者の心理を黙って暴き立てて居るだけである
其処に写し出されるのは、他ならぬ自分でしかない
自身の深淵と向かい合う?
其れは、見返して来る闇の深淵よりある意味タチが悪いとも言える
そんな鏡の向こう側とコンタクトを取ろうとするのはアリスだけだし、其れが可能なのもアリスだけだ
君はアリスになりたいか? 
と、言う事なのだろうか
否、アリスになる覚悟はあるか?
と、言うと言う問い掛けなのかもしれない
宇宙に出ると言う事は、そう言う事なのかも知れない

と、薄ら寒くなった初夏の宵闇で御座います

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