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「L」の気持ちが分かる様な気がする、そんな初冬の深夜

何と言いますか、正に此の台詞のまんまです、、、orz
L

はい、皆様今晩は
と言うか、多分お早う御座います、ですね ^^;
多忙と風邪気に追いまくられて、またもやPCを開ける事無く1週間が過ぎ去ってしまいました
気付けば早くも12月ではありませんか!
何と言う事だ
年々月日の経つのが早くなって行く気がします
其の癖、仕事の1時間、特に「手の空いた」1時間はなかなか過ぎてくれませんがね
ま、年寄りになった証拠ですなw
正直嬉しくも何ともないです、、、orz

さて、表題の台詞と画像が何に由来するかと言えば
先ずは「デスノート」の「L」ですね
L_2 L6
「 L Lawliet(エル・ローライト)」
前にも何処かで触れた様な気がしますが、猫叉の2次元限定、好きな髪型の持ち主が此の「L」と黒執事の「あくまで執事」な「セバスチャン」の2人です
Sm Sm2_2
「セバスチャン・ミカエリス」
「似た様なの」に、旦那こと「アーカード」も居ますな、そう言えばw
20100711105122452
「アーカード」
此の二人、色々と共通点が多い様に思います
ま、この辺りの事を語らせると激しく脱線しますので、セバスチャンについては例によって、過去日記「人に仕える人外」http://bit.ly/K7Fqmn>を御参照下さい ^^;
ああ、そう言えば可成り長らく「HELLSING」ネタを取り上げていませんねぇ ^^;
否、今でも心情的にアンデルセンの使徒だったりしますよ、猫叉はw
その内、又、アンデルセンについて考察という名の戯れ事を書いてみたいと思っています
Aa Aa1
銃剣神父こと「アレクサンド・アンデルセン」

で、今回の話題は人外とは全く関係ないのですが、、、
否、或る意味あの人達も人外なのかも知れないなw
色々と超越してしまって居ますからね ^^;

某顔本には、私が「思考の師」とする「Stanislaw Lem」の頁があるのですが、此処が結構面白い記事を流して来ます
Sl106_2
其れは、夏のクイズであったり、一寸したエピソードであったり、世界各国でのLem情報であったりします
お気に入りのオーケストラや指揮者の頁と共に此等をチェックするのが、私の顔本の最大の愉しみと言っても良い位ですね
処が此の「Stanislaw Lem」の頁に限らず、情報発信の原語ベースはあくまでも「英語」です
否、英語なのは寧ろ親切な方ですね
イスラエル・フィル等は其の殆どがヘブライ語ですから
Google先生翻訳verを召喚しない事には、何が何だか全く判りません
其れこそ、表題の台詞にして、画像通り「L」の様になってしまいます ^^;
かと言って、英語なら判るのか、と問われても大した違いが無いのが哀しい処ですがw

と言う事で、今回の話題「Stanislaw Lem」の顔本頁ですが
無論此処も例外では在りません
記事に使用されている原語は、あくまでも「英語」が基本です
其所にLemの母国語であるポーランド語の注釈、原典が付く場合が殆どですね
猫叉は、本当に自慢にも何にも成りませんが、語学センスが皆無です
その上、知識も経験も中学1年の春から殆ど進化していません
普通の記事ですら色々とお手上げな上に「思考の師」本人の文章は、哲学書の様に解り難いです
否、流れて来る文章自体は、そんなに長いものでは有りません
寧ろ、スローガン並みに短い物すら有ります
其れなのに、解らないのですよ、、、orz
専門の翻訳家が注釈付きで翻訳して下さって居る「小説」の文言ですら、しばしば頭を抱える羽目に成ると言うのに、反語や比喩、暗示や例えをみっちり詰め込んだ「Lemのエッセンス」は、私にとって可成りハードルの高い物になります
いえ、私の修行が足りて居ないのは、言うまでも無い事なのですがね

先日もこんな一文が此の画像と共に流れて来ました

<I don't think anything can behave as unintelligently as intelligence.>
"Fiasco", transl. by M. Kandel
[Sądzę, że nic nie umie zachowywać się bardziej nierozumnie od rozumu.]
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(因みに "右側" は日本語版翻訳書籍、国書刊行会の装丁で、比較の為に掲載しました)
目下、私の最大の関心事、と言うか
一番大きな課題を喰らっている「Fiasco」に付いての記事の様です
然も、此のパターンは今までの例から行くと、Lem本人が此の小説について「何か」言った事を現しています
此は何としても「意味」が知りたい処です
と言う事で、作業を開始しました
先ずは、原文はポーランド語の為、Google先生の翻訳verにもポーランド語対応をして頂きました
其の結果が此方です

「私は何も、より愚かな理由以上に動作しないことができないと思います」

ん~~~~~ 此では一体「何が何だかわからない」じゃないですか ^^;
あああ、マジで「L」か「セバスチャン」を召還してやりたい、、、orz
かと言って、悪魔(セバスチャン)と契約を交わすわけにも行かない(ま、色々とw)ので、私が気軽に呼び付けられる唯一の「手段(つて)」を召還します
とりあえず、一番手近で身近な「Google先生翻訳ver英語」

「私は何としてunintelligently知性として振舞うことができるとは思わない。」

はあぁ??? 
何だか余計解り難くなったのは気の性でしょうか、、、orz
然も翻訳されていない単語がある始末 ーー;
仕方が無いので、web辞書と言う伏兵を召還します
此の伏兵を扱き使い、語学、特に外国語のセンスと知識が皆無と公言して憚らない私が、苦労して英訳を分解し、再構築した「私」翻訳が此方

「私は何事も知性と同じように理性的に振舞う事が出来ると思わない。」

あああ、此処までしても「結果的に"良く判らない"」と言う点に関しては余り進歩が見受けられないと言う、、、orz

でも、まぁ、何となく師匠の言いたい事は判る様な気もします ^^;
一応「自称・不肖の弟子」なのでw
私なりの解釈だと、つまりはこう言う事では無いかと

「知性」と言う概念の様には振る舞えないよ
人は生き物なのだからね
其所には、概念以外の不確定要素が多過ぎるのだから

と言った処でしょうか ^^;
何と言ったら良いのか
人としての限界が此処には端的に示されていると思うのです
其れは利点でもあり又欠点でもあり、長所でもあり致命的な欠陥でもある
と、まぁそんな所でしょうか

以前にも似た内容のこんな言葉が流れて来て、激しく頭を抱えた物です

<Do not trust people. They are capable of greatness.> (Stanislaw Lem)

此を此のままGoogle翻訳を掛けるとこうなります

「人を信用してはいけません。彼らは偉大さが可能である。」 (スタニスワフ・レム)

否、前段は良いんですよ
此は素直に「人を信頼するな」で良いと思うのですね
問題は後半です
「偉大さが可能」って何??? ^^;
此のままでは矢張り「L」になってしまうので、またもやweb辞書を召還すると、少しだけ意味が通る様になります

「人を信用してはいけません。彼らは偉大に成りかねない。」

此処まで来ても結構「L」なままですよね ^^;;
非常に難しいのですが、此処からは私の解釈です

普通「信頼(trust)」とは肯定的な意味合いにおいて使われると思います
平たく言うなら「好意的」つまりはポジティヴな立ち位置ですね
其れを「否定」して居る
此のままの流れで行くなら、後半は「否定的(ネガティヴ)な形容詞」が来て其の理由の証左になります
つまりは「過大評価するな、警戒しろ」と言う警告になる筈です
処が、何と言うか
流石は「思考の師」と言うべきなのでしょう
"超"「肯定的(ポジティヴ)な」形容詞が来ちゃいましたね
さぁ、此はどう解釈したら良いのか
レムが肯定的な意味合いで「人」を評価する事は余り無いと思います
彼は、常に其の作品において、又は数々の文章において「人と言う物の限界」を思考して来て居るからです
其所には「人を過信するな」「人の行いや思考に過大な期待を抱くな」「科学的根拠の無い理想を謳うな」と言う終始一貫した「視点」が有る様に思います
なので、「過大評価するな」と言う基本的な流れは変わらないのでは無いか
とは思うのですが、分脈から行くと全く逆の事を言って居るようにも思えるのですね
此処で、結構な手詰まりになりました 
判り易く言うなら「お手上げ」と言う奴です ^^;
仕方が無いので、Google先生軍団の ”日本語じゃ無い連中”を駆使する事にします
其所で初めて判ったのは
実は、此の文章、海外のサイトでも「どう解釈するのですか?」と言うスレッドが立って居た事でした
或る方の解釈はこうです
「人を過小評価するな」と言って居るのでは無いか、と
ああ、其所か! 成る程
でも、其れだけでは此の言葉の真意は伝わらないだろうな
コメントを付けていた方は恐らく此の文章のみで解釈を立てたのだと思います
しかし、お陰で私は腑に落る事が出来ました
つまり「思考の師」はこう言って居るのだと思われます
「人を過小評価して(見くびって)はいけない。 だが、過大に評価し(期待を掛けて過ぎ)てもいけない。」

つまりLemの言う「信頼するな」と言う言葉は、感情論や厭世観(えんせいかん)に依るのでは無く、もっと冷徹で科学的思想を基に人の本質を見据えよ、と言う思索から来て居る様に思うのですね
要は「プラスマイナス零(ゼロ)で観ろ」と言う事では無いでしょうか
言葉では非常に表しにくいのですが、プラスの事(利点や長所)があっても其れを過大評価するな、と
同時に、マイナスの事(欠点や欠陥)が有っても其れを過小評価する事なかれ、と
そう言っているのでは無いかと思えるのです
そう言う意味に置いて「全てを信頼するな」と言って居る様に思えます
此は様々な意味に於いて私がずっと追い求めている「視点」でも有ります
だからこそ私の願いは、今も
「流れの中にありながら、流される事無く而して逆らわず、常に冷静に対岸を、自身を含めた流れ其の物を見据えて居られる事」
が「出来る様になる事」に他なりません
此は可成り以前に、そう未だ私が華の高校生だった時代
SF仲間にして音楽友達でも有ったU氏に言った言葉です
それに対する彼の返答は「(色気の何も無いけれど)非常に貴女らしい」でした
此は今でも私へ送られた最大の賛辞だと思っています

さて、予想外に長くなってしまいました
本日はこの辺で
ああ、次回こそ「悲愴を聴きに悲壮な覚悟で、、、」の続きを書かねば! (滝汗

Sl
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