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「夢」の話

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昔から結構色んなユニークな「夢」を見て来たと思います
其れ等には「願望実現への3部作」とか、
目覚めた途端にネタが割れる様な「外的要因がベース」の物とか、
単純に「仕事」由来の物とか
ま、何故其の夢を見たのか理由が判じ易い物も在ります
処が、中には一体何がどうするとこう言う夢になるのか? と
我ながら可成りの勢いで首を捻らざるを得ない様な類の物も少なく有りません
代表的なのを2~3上げるとするなら
アフリカ象の大群が地下街を大暴走! あわや其れに巻き込まれ、、、 
と言う一大超スペクタクル編 

謂われの無い罪で指名手配を受け、逃げ場の無い場所に追い詰められ絶体絶命
と言うサスペンス物
此の時、私を追い詰める役柄が高校時代のSF仲間にして音友のU氏でしてね
然も手配書が「Dead or Alive」だった物だから、そりゃあもう大変w
とか
某銀河英雄伝説の登場人物が窮地に陥って居る処をお助けする「天馬」に成って居る
と言うSFファンタジー巨編
ああ、因みに其の登場人物とは、双璧の「愛妻家の方」だったりします ^^;
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双璧の「愛妻家の方」w

今はもうそう言う愉しみと言うか、「望外の喜び」みたいな夢に遭遇する機会もめっきり減ってしまい、些か残念に思っています

そんな有る意味荒唐無稽な夢を見るのがお得意だった私は、今までに2回 夢に師匠でもある「Szell」を其所に見た事があります
一度は、可成り以前の日記でご紹介した様に「黄昏のオープンカフェで待つ」師匠の姿ですね
(過去日記「ちょっと悔しい」参照 <http://bit.ly/1c2WOuZ>)
そして残る1回が、地味に書き進めて居る「オーケストラ噺」のそもそもの切っ掛けになります
其所で見た師匠の姿をどうしてもお噺に仕立てたくて、延々と書き続けているのがあの噺なのですね
未だに何故あの夢を見たのか、どう言う時期に何のタイミングで見た物なのか、
判りません
只、其のシーンは強烈な印象と共に、未だに其の細部まで明瞭に「覚えて」居ます

夢とは本来、目が覚めると同時に儚く消えてゆく物、です
そして目覚めると同時に「其れが全くの "夢" 」であり、
単なる「妄想の産物」であると思い知る物、でもあります
と同時に、時に人を駆り立て、奮い立たせ、勇気や希望を与えもする
そんな不思議な力も持っているようです

私は本来、可成りの人間不審で重度の人嫌いです
個人は信頼出来ても、人類は信用出来ない、と言うのが私の本質です
否、もっと正確に言うのなら「全く信頼を置くに足らない」ですか
信用しない、では無く、信頼出来ない、が正しいですね
其の当たり、思考の師に「スタニスワフ・レム」を頂く大きな理由の1つになっています
子供の頃は其れに餓鬼っぽい思考と無知が加わりますから、
本気で諸悪の根源は「人間」だと信じても居ました
流石に、今そんな事を本気で主張するつもりはありません
第1、そんな事をしようものなら「思考の師」から、
嘲笑と共に膨大な量の課題を与えられて「やり直し」を命じられてしますからね (笑
まぁ、未だにオリンポス山の如く課題と検証と考察が残って居ますが、(汗
しかし、此って、果たして私の寿命の内に片付けられる域(レベル)の量なのだろうか、、、orz
閑話休題

こんな私は、当然の様に生きる事其の物を放棄しようとした時期が今までにも何度かありました
漠然と、或いは恣意的に、そして可成り意識的に
自らの存在の抹消と消滅を願った物です
一旦そう言う思いに取り憑かれると、なかなか其所から這い上がる事が難しくなります
はっきりそうと意識する、
否、意識出来る以前から、私は私の存在自体を許す事が出来なかったのです
此は、教育とか躾とか親兄弟、そう言った諸々の環境の性では無く、私の本質から来る物だと思います
其れ故、根深い
簡単には消し去りがたい負の感情です

或る日、私は忘れ得ぬ演奏と出逢います
Photo
ドヴォルザーク交響曲第9番「新世界」
指揮:ジョージ・セル 演奏:クリーヴランド管弦楽団
此が私と師匠との初めての出逢いでした
小学校高学年の頃と記憶しています
恐らく、小学4年生の夏では無かったでしょうか
最初に感じたのは「感覚の一致」でした
平たく言えば「私が振ったらこうなる」と言う、
まぁ、今思うと傲岸不遜としか思えない物ですが (笑
其所から少しずつ彼の演奏を聴く様になって行きます
そして、其の数年後
今でも私の魂の浮上装置でもあり、安全弁でもある「シベリウス交響曲第2番」に出逢います
此の時出逢ったシベリウス交響曲第2番は、アムステルダム・コンセルトヘボウ(現、ロイヤル・コンセルトヘボウ)の物です
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何度此の演奏を聴いて泣いた事か
其れは、何と言うか、感動とは違う感情です
聞いて居ると自然に涙が溢れて止まらなくなるのですね
そして、又此の演奏を聴きたいと思う
そして、彼の他の演奏をもっと聴きたいと思う
そして、其の為なら生きていたいとさえ思う
今でもそうです
彼のシベリウス交響曲第2番を聴くと、
其の時どんなに墜ちていても上がる事が出来ます
例え、部屋を真っ暗にして、片隅に身体を丸くし、全てから逃げる様に蹲っていても
必ず頭を上げ、前を向き、立つ事が出来る
特に、最晩年、と言うより、本当の意味での「最後」の録音源
「Live in Tokyo」盤のシベリウス交響曲第2番を聴く様になってからは、寧ろ安心して墜ちる事が出来る様になった位です
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彼の演奏を聴いていると「此の音さえ有れば他に何も要らない」と思える瞬間が有ります
其れ等を聴く時、心の底から無になれます
そして強く想うのです
此の音のある世界に、否、此の音がある此の世界に留まりたい、と
もっと良く知りたい
出来れば、彼が残した全ての演奏を聴いてみたい
そして聴く以上は、其の音と真摯に向き合い、真剣に受け取りたい
何を想って彼は此の演奏を残したのか
何を作曲家と対話し、其れをどうオーケストラに伝え、私達に聴かせようとしているのか
私に生が許される限り、そうした彼の音の根幹を追って行きたい
と、そう強く願うのです

ですから私は此からもセルの演奏を聴いて学ぶでしょうし、
レムの本を読んで思考を重ねて征くと思います
其れが、私の生きる術であり、意味でもありますから
何時か、彼方で彼の演奏会に征ける事を「夢」見て
願わくば、其の時の演目の解説と解釈を或る程度聴ける(判る)様に成っていれば良いな
と思って居ます

1970年7月30日、アメリカはクリーヴランド市の、とある病院の一室で彼は亡くなりました
享年73歳、死因は末期癌(骨肉腫)による心臓発作だったとされています
大坂万博の来日公演より、僅か2ヶ月後の事でした

本日は私にとって人生の師「George Szell」の43回目の命日です
合掌

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コメント

>e-g-g 様
今晩は、ご無沙汰致しております
コメントを有難う御座います ^^
本当に、後10年、否、5年で良い、、、
とは、私も良く思います
そうすれば、あれや此なんかも録音やライヴの音源が残せただろうに、と

只、最晩年の音源を聴いていると、何と言いますか
案外満足して逝ったのでは無いだろうか、と思えて仕方がありません
やる事は終えた、と言う ある種「悟りの境地」の様な雰囲気を感じるのですね
意志の強い方でしたから「今の自分に出来る事」は、其の日までに悔いの無い様仕上げていったのでは無いか、と
と同時に、現代に「彼」が居たら、と強く願わずには居られません
不肖の自称・弟子は、あくまでも不肖の弟子なので、師匠とは違い、未だ「未練と煩悩」だらけの毎日を送っています ^^;

投稿: LIN | 2013年10月22日 (火) 03時03分

こんにちは

セルが世を去ってから、もう43年も経つのですね。
聞き続けているほうも歳をとるわけです。
それにしても、少なくともあと十年は生きて欲しかったですね、
“晩年の名盤”も、もっともっと増えたでしょうに。

投稿: e-g-g | 2013年10月21日 (月) 16時18分

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