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「 Solaris 」とは

先日「猫叉亭綺譚」で紹介致しました「Solaris」ですけれど
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「ソラリス (原題・Solaris)」
(参照「Solaris」 )ああ因みに「猫叉亭綺譚」は、ちょい書き用の短文ブログです

Solarisとは、レムが創作した架空の惑星で、2つの恒星を巡る星の名前を指し「ソラリス」と読みます
レムのSFは文字通り "サイエンス・フィクション" なので、可成り詳細に其の科学性が示されます
其れは文字通り虚実入り乱れての物で、細かく読み解く事自体 容易ではありません
其れでも彼は話を始める前に、其の科学的前提をキチンと語る人ですから
其所を踏まえれば、専門的な知識が無くとも話には付いて行ける様、配慮が成されて居ます
此のソラリスも「2重星を巡る惑星には基本生命は発生しない」と言う大前提があって、「にもかかわらず」と言う伏線が張られて居るのですね
レムがソラリスで示したかったのは「常識の範囲外にある存在」であり、そう言った「未知な物との相互理解の限界」に他なりません
其所には当然「常識とは何か」も含まれます
お話しは、此の稀少な惑星を巡る人工衛星に滞在する3人の学者達が経験する、或る意味悪夢とも言える出来事が話の主軸になって居ます
余談になりますが、2つの恒星を巡る星、と言う設定は此のソラリスだけでなく他にも登場します
有名処だと、萩尾望都の「11人いる!」に出て来る僧侶の故郷とか、フレドリックブラウンの傑作短編「きちがいプラセット」の舞台でもある惑星プラセット辺りでしょうか
何れも「過酷な環境に適応した原住民」が「居る」星になって居ます
しかし「11人いる!」は、其の一寸毛色の変わった登場人物の「設定」に使われて居るに過ぎませんし、ブラウンに至っては「ジョークのネタ」になって居る位です
何れも「Solaris」程、細かく科学的設定がなされた上で話が展開して行く訳ではありません
所謂、小道具的な扱い方です
で、其の「Solaris」ですが、、、
星その物、と言うか、其所の海が1つの生命体として登場します
Solarisの海は、其の星の大半を占める特殊な存在でもあります
其の特異な海が何らかの「知性」を有すると判明した所から、人類の試行錯誤が始まります
しかし、「海」とコンタクトを取ろうとする試みは悉く失敗します
此の話はそうした失敗を挽回すべく、なんとか「海」とコンタクトを取ろうとする、謂わば最後の砦のような学者達の追い詰められた危険な試行錯誤と、其の結果降り懸かって来てしまった苦悩を描きます
様々な試みがなされ、其の中には禁じられた方策も混じって居ました
しかし其の悉くが「失敗」に終わります
お互いがお互いに敵意も好意も無く、単にコンタクトを取ろうとして居るだけなのに、其の事によって互いが傷付き、挫折し、それぞれ限界を感じて絶望と狂気に呑まれて行く
そんなお話しです
Solarisに描かれて居るのは一言で言えば、人間賛歌とも言うべき「人の可能性は無限大」と言った都合の良い願望、に対する実に冷静且つ痛烈なアンチテーゼです
意思疎通と言うのは相互理解に他なりません
相互理解とは互いが同じ舞台に立つ
つまり認識を共有する必要があります
其れを人は無意識に「暗黙の了解」の内に「可能」だと信じて居る
例え其所が地球を遠く離れた異星であっても「通じる」「常識」だと思って居る
其の事に対する強烈な疑問と反論が、「Solaris」でもあるのですね
もっと簡単に云うなら
「友好」「救済」「信頼」「不信」「簒奪」「裏切り」と言った判り易い物ではなく、単に「お互いに全く判りあえない」だけ、と言う「拒否」でも「容認」でもない単なる「不可知」と言う厳しい現実を示す物でもあります
此の辺りのお話しが、所謂「認識や意識の限界」を考える一連の作品に繋がって行きます
そう考えると、第9話の「時計仕掛けの虜囚」の寓話やオルタとアナライザーの立ち位置、ひいては真田さんと伊東との会話は、此の辺りを狙った壮大な前振りとも考えられます
何しろ「Solaris」ですからねぇ、、、「Solaris」
まぁ「宇宙戦艦ヤマト2199」で、と言うか「ヤマト」で其れをやるのは非常に難しいでしょう
そもそもの本題が其所では無いし、其れで無くても此の手のお話は映像化が非常に難しいですから
実際、此の「Solaris」を映画化した、タルコフスキー監督作品の「惑星ソラリス」は「失敗」して居ます
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映画 「惑星ソラリス」

いやね
彼の映画自体は非常に良く出来て居ると思いますよ
何より情緒的で、美しく、或る意味判り易い
でも、其れはレムの描きたかった「Solaris」の主題(テーマ)では有りません
彼は私も「Solaris」等では無いと思いますから、レムが激怒したのも判ります
映画「惑星ソラリス」は、彼が言う様に「Solarisではなく "罪と罰" 」なのですよ、間違いなく
只、映画としての出来は可成り高く、別の観点から描いた「Solaris」の見かけ上の美しさと其の現実の厳しさ
そして人が如何に情緒的に振る舞う物なのかを示すには、良い手法だったと思います
只、何度も言いますが其れはレムの描きたかった「Solarisの主題」では決してありません
因みに映画「ソラリス」に至っては全くお話しになりません
彼の監督や脚本家はそもそも「ソラリス」の主題が判って居るのかさえ疑問だと思います

「Solaris」は愛や記憶や人の苦悩と言った感情を描いて居る訳ではないのですから
あくまでも「Solaris」の主題は「認識の限界」で有り、「相互理解の不可知」を説いているのです
だからこそ「Solaris」は、所謂「ファーストコンタクト」を扱った物の名作として、今でも読み続けられているのです

さて、今回「七色の陽のもとに」と言う事で、旧七色星団大海戦の死闘が演じられる回に、敢えて「ソラリスの陽のもとに」をぶつけて来た出渕監督の意図はどの辺りにあるのでしょうか
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「ソラリスの陽のもとに」早川書房翻訳版

個人的には、此処のソラリスはタルコフスキーの「惑星ソラリス」であって、レムの「Solaris」では無い気がしています
互いに判りあえない、と言う辺りを男の情緒で現すつもりなのかな
其の為の小道具が、沖田艦長の「罪と罰」な様な気もしますね
嗚呼、レムが激怒しそうだ ^^;;

そう言えば、其の辺りの事を上手く言い得た漫画家が居ましてね
彼が其の小作品の中で登場人物(宇宙人)に言わせた台詞が秀逸なんですよ
「ソラリス星の失敗を忘れたか?!
文明が滅びると同時に星その物もパーになった!」
因みに少し解説すると
此のパーになったの「パー」は文字通り「(くるくる)パー(=痴呆)」と言う意味合いと「パー(=ご破算)になった」と言う意味合いとの両方が掛かって居ます
否、此の「パーになった!」と言う辺りがね
実に言い得て妙だなとw
此は此で「Solaris」の一面を端的に現して居るのではないでしょうか
誰だと思います?
実は「藤子不二雄」なんですよ
そう、ドラえもんの作者ですね
恐らく作風から言って、「藤子・F・不二雄」さんの方だとは思いますが、、、
一寸調べてみたらちゃんと出て来ました
「「征地球論」(せいちきゅうろん)」ですね、
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嗚呼矢張り「藤子・F・不二雄」でしたか
Google先生GJ!

さて、出渕監督は彼の名言(迷言?)を越える事が出来るでしょうか

其れにしても、フィリップ・K・ディックに、今度はレムですか
否、嬉しくないと言えばウソになりますが、、、
そう来たか~~~! と小一時間w
出渕氏とはお友達に成れそうな気がしますよ ^^;

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