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そうだ、Mozart Requiem を聴こう 

「Mozart Requiem」とは、モーツァルトのレクイエム(鎮魂歌)の事です
まぁ、成り立ちとか作曲の経緯とかで何かと有名な曲でもありますね
正式には独逸語で「Requiem in d-Moll (KV 626)」と書きます
(KV626)と言うのはモーツァルトの楽曲に振られている通し番号で、ケッヘルと読みます
此の曲で一番有名なのは、此の一節でしょうか
「モーツァルトの死後、彼は死の世界からの使者の依頼で自らのためにレクイエムを作曲していたのだ、という伝説が流布した。当時、依頼者が公になっていなかったことに加え、彼が死をいかに身近に感じているかを語り、灰色の服を着た使者に催促されて自分自身のためにレクイエムを作曲していると書いているのである。」wikiより要約
と言うのもですね
此の「Requiem in d-Moll (KV 626)」は、所謂彼の絶筆なんですね
「当時作曲中の魔笛の完成の目処が立ち、8月末にプラハへ出発する直前、見知らぬ男が彼を訪ね匿名の依頼主からのレクイエムの作曲を依頼し、高額な報酬の一部を前払いして帰っていく。
9月中旬、プラハから戻ったモーツァルトは『魔笛』の残りを急いで書き上げ、9月30日の初演に間に合わせ、その後、レクイエムの作曲に取りかかるが、体調を崩しがちとなり、11月20日頃には床を離れられなくなってしまう。12月になると病状はさらに悪化して、モーツァルトは再び立ち直ることなく12月5日の未明に他界する。」wikiより要約
と言う、此方は厳然とした史実
まぁ、依頼云々の部分に或る程度の伝承はあるでしょうが、此を作曲中に亡くなったのは紛れもない事実ですから
こう云った経緯がありますから、此の手の「お噺し」がまことしやかに伝わり、彼の有名な
Amadeusb
『アマデウス(原題・Amadeus)』に繋がる
と、そう言う訳です
ま、真相は「ちゃんとした貴族から亡くなった奥方への鎮魂歌の依頼だった」と言うオチなのだそうですが、若くして夭折した天才に相応しい「伝承物語」として今に伝えられて居ます
実際、直前の大作「魔笛」制作前後のモーツァルトは、可成り財政的に困窮していた様ですし、可成り身体も悪くして居たと言いますから、こう云う「お噺し」が独歩きしてしまうのもやむを得ないと思います
然も、「魔笛」は、フリーメイソンから題材を取ったと言われていますから、後世、此に絡んだ陰謀や忙殺説も飛び出し、余計此の「お噺し」に神秘的な影や色を付けてくれたと言う事の様ですね
実は、猫叉、映画「アマデウス」は未見です
但し、例によって原作は映画公開当時に速攻で購入し「読んで」います
うん、あれは名作ですね
サリエリの嫉妬や羨望、苦悩、独白辺り、物凄く共感出来る物があります
しかし、あれを読んだ時は未だフィガロを演奏る前でしたから、漠然とした納得感しかありませんでした
「ふ~ん、そう言う物なんだ~w」
が、其の時受けた一番近い感想にして正直な感覚です
処が、自分で「フィガロの結婚・序曲」を演奏る羽目になり、練習で思い切り化かされて気付きました
其所で私は始めてモーツァルトの怖さを知り、同時に如何に彼が天才であったかを痛感する事になります
(詳しくは過去日記「不可能を可能にする」 を御参照下さい)
モーツァルトは文字通りの天才だったと思います
と言うか、寧ろサリエリが劇中で独白する
「神に愛された神の筆」と言う表現が正しいのではないかと感じます
劇中でサリエリが指摘する様に「酷使され続けた挙げ句夭折してしまった」のがモーツァルトだと
天から降り注いで来る音楽を書き留め続け、其の事以外には一切の才能も労力も払わせて貰えず、ひたすら神の音を綴り続ける
其の「仕事」に選ばれた人が、他ならぬモーツァルトだったのでしょう
彼の精神は明らかに此の世にはなかった
ですが、彼の身体は此の世の物以外の何物でもありません
こうした一種の捻れの様な特殊性、無理を内包したまま生きるのは容易では無い筈です
結果、彼は晩年心身共に可成り苦む事になります
「神は与え、そして奪いたもう者」だそうですからね
文字通り、何の躊躇も遠慮も無く「与え」そして容赦なく「奪って」いったのだと思います
劇中のサリエリはそうした「神の筆」の才能と神に選ばれたと言う事実に激しく嫉妬しながらも、平凡な才能しか持ち合わせなかった=神に選ばれなかった自分に安堵します
人として此の気持ちには激しく共感出来ますね
いろんな意味で、モーツァルトやマーラーには成りたくありませんから
因みに、マーラーが死の間際に発した言葉は「モーツァルト」だったと伝えられて居ます
彼には、モーツァルトの後ろ姿が見えたのかも知れません
結局、彼の死によって未完になってしまった此の大作は、元夫人(夫の死後、弟子の1人と再婚して居ます)の依頼と働きかけにより、彼の弟子達が補筆完成させて今に至るのですが、、、
まぁ、其の動機はともあれ彼の絶筆は、こうして「完成」し今も「Mozart Requiem」として世界中で演奏されています
尤も、其処に至る過程や補完の出来には、今でも色々と問題やら何やらが有る様です
其の辺りは残念ながら詳しくないので割愛します
興味の或る方は御自分で調べてみて下さい
結構、生臭いと言うか、生々しい話が出て来て面白いですよ

実の処、元々此の手の「唄」が入る楽曲は興味が無いのが猫叉です
然も、宗教音楽は苦手なのですね
ですから、本質的には馴染みが無いのですよ
なのに、何故敢えて「Mozart Requiem」か
いやぁ此が今でも本当に不思議なのですが、、、
始めてジュリーニ氏のレクイエムを聴いた途端、其の虜になったんですね
彼のレクイエムだけは何時までも聴いて居たい
と、そう今でも思い、感じるのです
此の感覚はジュリーニの「Mozart Requiem」に固有の非常に限定された物です
ですので、彼の演奏以外は、はっきり言うと全く聞いて居ません
従って、此の演奏が世間一般の「Mozart Requiem」の中で、どう評価されて居るのか私には判りません
しかし、其れはどうでも良い事なのです
私にとって究極にして唯一の「Mozart Requiem」が、此のジュリーニの「Mozart Requiem」なのですから
実は彼の此を聴いて居る時に、頭に浮かんだ光景がありましてね
其れを其のまま例のオーケストラ噺「Sinfonia(シンフォニア)」に転用して居ます
未だ、先のお噺しの箇所ではありますが
其の場面は些か凄惨なのですが、此処で流れる「Mozart Requiem」は紛れもないジュリーニの此の演奏に他なりません
実は、私にとって師匠でもある「ジョージ・セル」の「Mozart Requiem」は、音源が残されて居ない様です
今となってはもう聴く術も無いので確認の仕様がありませんが、恐らく欧州に居た時に演奏その物はして居るのではないでしょうか
何しろ欧州での評判はもっぱら「オペラの人」だった様ですから
只、セルの其れはジュリーニの其れとは、可成り違う物になって居るだろうとは思います
ジュリーニの音はとても優しい音です
が、決して易しくは無い音でもあります
其の優しさは、MTTの優しさとは違う
MTTも決して易しくはありません
でも、彼の優しさには何と言うか、一寸意地の悪いと言うか、曲者っぽい素直ではない色が結構滲み出て居る様に感じます
ジュリーニの優しさはもっと根本的な物
文字通り慈しむような、包み込むような優しさです
でも、甘くは無いんですよね
音自体は堅実で手堅く些か地味ではありますが、結構辛口でシビアです
無駄な装飾や余分な物が無い分、割りとタイトで正直な音造りですからね
其れは、誤魔化しの利かない厳しい音でもあります
其所がまた、私は大好きなのですけれどね

と言う事で、今日はカルロ・マリア・ジュリーニ氏の命日だそうです
文字通り「レクイエム(鎮魂歌)」を聴いて過ごすとしましょう

425004729diffusion
カルロ・マリア・ジュリーニ(Carlo Maria Giulini)(2005年- 1914年)

「(Complete) Mozart Requiem, K. 626 - CM Giulini, 1979 - Philharmonia Orchestra 」

http://www.youtube.com/watch?v=mHbgt3e-TC8>

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