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思考の師「スタニスワフ・レム」のこと

大事な友人との出逢いの経緯を余り覚えていない私は、実は私にとって思考の師でもあるS・Lemとの出逢い(ファースト・コンタクト)もうろ覚えだったりする
其れは恐らく高校1年(か2年)の秋、友人と一緒に授業をエスケープして観に行った「2001年宇宙の旅」が1つの切っ掛けとなったのではないだろうか
其れは「劇場公開は此で最後」の煽り文句が付いた上映で、SF仲間と映画オタクの友人達から「一度は(劇場で)見ておけ」と一押しされた作品だった
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「2001年宇宙の旅」

其の上映期間は可成り短く、週末(当時は土曜日も授業があった)を待っていると其のまま上映期間が終了してしまう状態だった
何としてでも劇場で観たかった私は、志を同じくする悪友Jと共に教習生の授業を抜け出して映画館まで足を運んだ、という訳だ
確か其の時に「2001年宇宙の旅」と並び称される名作「惑星ソラリス」(タルコフスキー版)も同様、最後の劇場公開に成るというチラシが購入したパンフレットに挟まっていたように思う

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「惑星ソラリス」(タルコフスキー版)

其所から本格的にレムの名を認識したのではなかったかと記憶する
無論、其れまでに彼の作品を読んではいたと思うのだが、余り印象に残っていない
当時は、クラークやアシモフ、ブラッドベリ辺りを読み説くので手一杯だったのだ
で、此方の方、 「惑星ソラリス」(タルコフスキー版)は文化祭の準備を抜け出して「観に」行った
上映後、何れの映画館にも同じ学年の御同輩が居たのはご愛敬だろう
そう言う学校であり、そう言う仲間達であり、そう言う時代だったのだ
短期間の間に両者を観ることが適ったのは本当に有り難い事だったと思っている
今のように記録媒体が豊富では無い時代のこと
見比べるのも容易ではなかった
其れを両者のイメージや感想、印象が強くて鮮明な内に見比べる事が出来たのは、非常に幸運だったと言わざるをえない
観て感じたのは、両者は色んな意味で対極を征く作品である、と言う強烈な印象だった
恐らく主題の根幹は同じテーマなのだが、伝わる事柄は全く相反する内容であり、描かれた「事実」はどちらも切ないくらい厳しく哀しい
しかしながら、其のテーマも、描き方も、メッセージも、何もかもが対極にありながら、両者が決して相殺することはない
文字通り「両雄並び立つ」のである
但し、其の行き着く先は大きく異なる
「2001年宇宙の旅」は人類の秘められた可能性を謳い、「惑星ソラリス」は人の限界を指摘する
後年、此の映画「惑星ソラリス」が原作者、スタニスワフ・レムの逆鱗に触れる作品だった事を知り、些か複雑な気持ちになった
師の作品を可成り読みあさった今は、其の逆鱗に触れる理由が「判る」のだが、あれはあれで良いのではないかと思う
何にせよ「2001年宇宙の旅」とは違う意味で、美しくて哀しい映画であるとは思う

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何れにせよ「惑星ソラリス」は難解な映画なので、当然の如く私は ”原作”で有るはずの「ソラリスの陽のもとに」(早川書房版での邦題)を購入して読む事になった

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「ソラリスの陽のもとに」(飯田規和訳、早川書房版)

其所で改めて意識する
レムの描く「人としての限界」は、今まで無意識に私が感じていた疑問その物に対する1つの回答を提示した物だった
クラークもアシモフもブラッドベリも手塚治虫も、基本は「人間賛歌」が根底にあるように感じる
其所に登場する異星生命体の多くは人とのコミュニュケーションが可能で、齟齬があったり誤解があったりしながらも「分かり合える」事が基本だ
其れは時に侵略という形式を取る事があるにせよ、お互いの意志は明確に把握できる
私は物凄く漠然としながらも其の「認識」に疑問というか、微かな違和感を覚えていた
「判かり合える」? 
果たしてそうだろうか
同じ星の同じDNAを基礎としている人間
其の言語が違うだけでこんなにも「判らない」のに、全く違う星の、恐らく組成その物が全く異なるであろう生き物同士が「判りあえる」のだろうか
この根底には私の中に巣くう根強い人間不信があり、同時に無類の動物好きも大きな影響を及ぼしていると思う
仮に私がどんなに犬や猫達を愛しても彼等の精神(こころ)は「判らない」
そもそも視覚も聴覚も何かもが違う世界を生きる彼等を「判る」事自体不可能だろう、と私は思っている
其所を判るとするのは人の傲慢であり欺瞞であると思う
もっと判りやすく言うなら「判るという嘘を私は付きたくない」と言う事だ
ソラリスの主題は「悪意もなく恣意もなく作意もなく、単に互いに判りあえない」と言う相互認識の限界を示す
ソラリスの海は知性を持つ
だが、人とのコミュニュケーションは取れない
互いが相手を理解しようと様々にアプローチを試みるのだが、結果は惨憺たる有様で結局双方が、否、ソラリスの ”海”がどう思っているかは結局「判らない」のだが、深く傷付く事になる
其所に厳然と存在する「理解の壁」は、私の長年の違和感に1つの回答をもたらす物だった
此処から私はレムの作品を読み漁る事になる
所が此の記念すべき切っ掛けとなった「ソラリスの陽のもとに」(飯田規和訳、早川書房版)だが、実はまたもや原作者の意にそわない翻訳であった事が判明する
此には色々とやむを得ない事情があると思う
何しろダイレクトに原文、無論ポーランド語だ、を翻訳している訳ではなく、其の過程に様々な言語と体制が関与していたのだから
近年、やっと原文からのダイレクト翻訳が発刊された
「ソラリス(Solaris)」(沼野充義訳、国書刊行会版)である

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「ソラリス(Solaris)」(沼野充義訳、国書刊行会版)

発売と同時に勇んで購入してあるのだが、実は未だ読めていない
何しろ師の作品を読むには、気力体力共に充実していないとハナの数行で撃沈するからだ
まぁ、そう堅苦しく考えるな、と言う声も聞こえ来るのだが、私にとってレムの作品は何時も真剣勝負になる
只、いつぞやの読み切り短編の中で、藤子不二雄がこんな風にソラリスの海を表現していて思わず笑ってしまった
「ソラリス星の失敗を忘れたか! 文明が滅びると同時に星その物もパーになった!」
ああ、成る程、そう言う解釈もあるね~ ^^;

レムの其れはSFでは無い、と評する人を見かける事がある
確かに其の通りかも知れない
彼の描く世界は何時も可成り抽象的だからだ
SF(サイエンスフィクション)と言うより寧ろ哲学書や思想書に近い物があるように思う
其所には「サイエンス」は余り介在してこない
ソラリスにしてもエデンにしても天の声にしても、其処に至る設定には「サイエンス」が出て来るが、其れはあくまでも背景の1つに過ぎず、決して主題ではない
此の「ゴーレムⅩⅣ」辺りは典型ではないかと思う
其所にある機械生命体の其れは最早人の手に負える代物ではなくなり、果ては内なる世界に自ら引き籠もる
そして「彼」は人に対して講義を始めるのだが、人が人である故の限界を容赦無く晒してゆく
誤解の無いように言えばレムは人の限界を描きながら、同時に(人によって造り出された)機械生命体の限界をも嗤っている
先日、偶々フォローしてるサイトにこんな動画が上がった

「Stanislaw Lem」
animated short film based on "Golem XIV"

GOLEM from GOLEM on Vimeo.

レムの世界観を映像化するのは非常に難しいと思う
結局、こう言う抽象的なCGに頼らざるを得ないのだろう
此がゴーレムを上手く表現できてるか否か、私は論評できない
ただ、生前、舌鋒鋭く他作家に対しても非寛容な批評を行う事で知られ、普段から口さがなく容赦も無かったLem本人のコメントは聴いてみたい気がする

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