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3人の「先生」と2人の「師」 其の壱

ああ、もしかしたら「愚痴」になるかも知れません ^^;

最近、と言うか、クラシック三昧を初めてからと言う物、「書き物」の神様が何気に降臨していらっしゃるようで、やたらと色んな文章が綴りたくて些か困っています
そろそろ「アンデルセン考」とかを再開したいのですけれど、どういう訳かそっち方面の文章は"全く"浮かばないんですよ、、、ーー;
折角OVAⅩのPVがUPされたと云うのに、、、orz

「HELLSING OVA X」_PVc.mov

しかし相変わらずHELLSINGスタッフ、飛ばしていますなw
コミケ用PVだからと言って飛田少佐でこんなに遊んでちゃ如何でしょ ^^;
だから「大赤字」、、、(ry

因みに此方が真面目Ver.
「HELLSING OVA X」_PV.mov

個人的には断然コミケ用の方をお勧め致します(笑

で、もって文章の神様なのですが
可成り長い間クラシックを放置していましたから其方方面を司る神様の「お仕置き」もあるかも知れません、、、orz
そんな訳で、一寸ばかし「師匠」のお話、と言うか、馴れ初めでも語ろうかと思った次第です
色んな所に話が繋がって行きますし、まだまだ調べたり検証したり、或いは自分の中で整理したり、が、全く出来ていないので、此はチラシ裏の”覚え書き”とでも思って下さい

以前何処かに書いたような気もするのですが、私には私が先生と呼ぶに足ると思っている人が3人だけ居ます

「手塚治虫」
多分、私が今曲がりなりにもこうしてヒトで「有る」事が出来るのは、この人の漫画があったからではないかと思っています
本来、可成り根の深い「人嫌い」なのですね、私は
この人の「人間賛歌」がなかったら、恐らく今の私は、私たり得なかっただろうと思っています

「H先生」
中学2年の時の担任にして、文字通りの「恩師」です
本願寺系の由緒あるお寺の住職でもあり、雅楽(琵琶と笙、舞)を嗜まれる文化人でもありました
何時も穏やかで声を荒げられた記憶こそありませんが、此方の甘えには静かで厳しい一言が還って来る
そんな先生でした
こんな事がありました
ある日私は提出用の日誌の欄外に「1日24時間じゃ全然足りない、せめて25時間欲しい」と嘆いたのですね
当時、本を読み漁っていた私にはまだまだ読みたい物が山ほど在って、ついそう言う愚痴というか、本音が出てしまったのでした
そうしましたら、とても達筆な字で
「24時間を有効に使えない者がどうして25時間を有効に使えようか」
と返って来た事があります
此は今でもH先生から直接頂戴した、私の大事な座右の銘です
太宰治の「走れメロス」を漫画にしろ、と言う課題は未だに忘れる事が出来ない先生のユニークな授業です

「M先生」
大学時代に御世話になったと云うか、まぁ大変色々と御世話になりました
と言うか、何かと御迷惑をお掛けした牧師様です 
私が通っていた大学は所謂、プロテスタント系の学校で必須教科に「キリスト教学」なる物がありました
その時の講義を受け持たれたのがM先生です
ともすれば「布教」に終始してしまいがちな此の講座を、先生は「宗教を学問する」と言う、私にとっては物凄く斬新な視点を提示して下さいました
SF映画の古典にして超名作の一つ「2001年宇宙の旅」を現地(アメリカ)で初演時に観ていらっしゃいましたので、SFのお話をしてもちゃんと受けて下さる貴重な先生でした

余談ですが、H先生とM先生は私達の結婚式にもご招待致しました
会社の同僚D、同業他社の友人T、大学時代の3悪仲間のYとAに先生お二人と、お互いの面識率が限りなくゼロに近いと云う、カオス極まりないテーブルだったのですが、、、
後に皆から「あんなに愉しかった結婚式はない!」と異口同音に絶賛されました ^^;
皆さん、相当愉しまれたようです、、、^^;;
否、良いんですけどね、愉しんで頂ければ、、、 ^^;;;
ぢつはこう言う事は良くあるんですよ
「私の友人」と言うだけで、お互い面識のない友人同士で仲良くなったり、「私の話題」でお互い全く知らない者同士が一頻り盛り上がったりするらしいです
こう言うパターンの典型だったのが、オケ仲間の某Sと悪友Aです
たまたまこの2人が学校で募集していた「メサイア」の合唱メンバーに同時期に応募したらしいのですね
で、初練習での席順がたまたま隣り合わせになったらしいのですが、「私」という共通項のみでとても仲良くなったそうです
彼女達は結局、学部もクラブも出身校も住所も全く違うのに、互いの結婚式に出席するまで、仲良くなりました
ま、良いです
愉しければ、、 
好きなようにお使い回し下さい(笑

あああ、本題にはいるまでにこんなにも字数が掛かってしまった、、、orz

で、私が「師」と呼ぶ方は此のお二人のみです

人生の師「ジョージ・セル」
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思考の師「スタニスワフ・レム」

何が違うのかと言えば、先生方は「信頼」ですけど、師は「信仰」なんですね
ちょっと次元と云うか、私自身の立ち位置が違います
後、リアルとバーチャルの違い?
違うな
具体的と抽象的の違い、ですかね
図式にするとこんな感じでしょうか

(私)<<<可成り高いハードル|「先生」<<<<<<<越えられそうに無い高い壁壁壁|||「師」

「師」はより遠くて抽象的な存在なんですよ
だから私には「信頼」と云うより「信仰」に近いんですね

私が最初にセルを強烈に意識したのは、小学4年頃だったと思います
ある日何気なく聴いたドヴォルザーク交響曲第9番「新世界より」が私を虜にします
最初の感想は「何て(私と感性が)一緒なんだろう!」と云う事でした
無論、細かい事は当時まだまだ判りませんから、単純に「私が”新世界より”を振ったらこう言う感じ♪」と言う、
まぁ、今考えるととんでも無く「失礼」で思い上がった、だが「純粋無垢」な「感想」でした
QUEENの時もそうでしたが、私は意外とスロースターターです
一旦、こう!と方向性を見定めれば後は脇目もふらず一直線にまっしぐら!
なので、其所に行き着くと結構行動や思考も「速い」と思うのですけれど、其処までに至るまでに結構な時間や、なにやらかにやらと色々と費やしてしまうのですね
その為、何時もなかなか動き出せません
只、セルの場合、他の誰とも違ってい居たのは、最初に意識した時から片時も彼を忘れる事は無かったと云う現実です
今も、常に、頭にあります
レムも同じなのですが、何時も私の何処かに必ず「居る」んですね
其れは「降臨」とは違って「常駐」していますから、普段は地味で控え目です
が、一旦「事が起こる」と其の存在感は可成り「圧倒的」です
ただ、「何時も其所に居る」からつい甘えてしまうんですよ
レムにしろセルにしろ私が考えたり片付けたりしなければならない事柄や、検証、考察等、自らに課した課題が山程有るのですけど、つい其れ等を後回しにしてしまうんですね
特に気力が湧かなかったり、何故だか気が向かなかったりすると、、、
ま、放置と云うか、何というか、取り敢えず「(横へ)置いて置いて」「後から改めて考えればいいや」になってしまいがちなんですよ
今回のクラシックが本当に良い例です
一体何年放置していたんだ、私は? と云う感じですね
実はレムも同じ、と言うか、それ以上に酷くてですね
買い込んだ「改訂版」の殆どに未だ手が付けられていないと言う有様です
慌てたり焦っても仕方がないからと自分で自分を甘やかしつつ、人生の指標にし、ライフワーク等と云う綺麗な言葉で誤魔化してはいますが、要は「師」に甘えて課題を先送りにしているだけです
ま、何れにせよ、そうそう簡単に、と言うか、そもそも結論の出るような話ではないんですけどね
だからこそ、一生掛けて追いかければいいや、等と云う失礼極まりない事が出来るわけで、、、^^;

愚痴と云うより、最早「言い訳」ですね、、、orz

と言う事でだらだらと長くなりました(汗
一旦切り上げます

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コメント

とても興味深く読ませていただきました(*^^*)
誰か尊敬、敬愛すべき人がいること、とても大切なことですね。
わたしも見習いたいです((o(^∇^)o))

投稿: Hiroayu | 2016年1月30日 (土) 01時00分

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