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「妖画」ではなくて「洋画」の話

そう言えば今まで「絵」の話はしていませんでしたね
猫叉、絵が好きです
観るのも描くのも同じ位好きですね
最近は其のどちらも、とんとご無沙汰なのが些か寂しい限りではありますが
日本画はまた別の機会に語るとして、今回は洋画中心に征きましょう
あ、洋画と言っても「妖画」ではありませんよ
一応「洋画」です
只、ラインナップを観て頂ければお判りなように、殆ど「妖画」ですけどね ^^;

洋画には色んなジャンルやカテゴリーがありますけど、猫叉のお気に入りは「シュールレアリスム」、所謂「超現実主義」と和訳されている分野です
有名処だとダリとかマグリット辺りが筆頭ですかね

<サルバドール・ダリ>
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「記憶の固執」
以外と小さな絵なんですよ、此
後、ご本人自身が、まぁ、ネタみたいな方ですけどね ^^;
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「ご本人」
こんな見た目(失礼w)ですが物凄い愛妻家でもありましてね
奥様が亡くなられた際、「自分の人生の舵を失った」と嘆き悲しんで、その後の制作活動を止めてしまっている位です
そう言えばスペイン旅行の時、行きの飛行機内で読んだ機内誌にダリの訃報が載っていましたっけ、、、
今回この日記を書く為にちょっと調べていて見付けたのですが、若き日のダリってメッチャ”イケメン”です ^^;シンジラレナイ
証拠写真が此方
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<ルネ・マグリット>
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「空中に浮かぶ城」
最近「だまし絵」の作者として色んな所で取り上げられていますね
個人的には彼はだまし絵作者ではなく、やはり筋金入りの「シュールレアリスト」だと思っています
鳥の絵や樹の絵が有名ですけど個人的に好きな1枚は此方
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「光の帝国」
これぞ「マグリットの世界」だと想います

ポール・デルヴォー>
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「セイレーン達の村」
セイレーンとは海の妖精、と言うか、まぁ魔物ですね
此処では「人魚」の様です
其れで路に座る女性達の「足」が着物に隠されていて見えない、否見せられない訳なのですね 
え? どうして判るかって?
絵の中央に画かれた砂浜をご覧下さいな

で、個人的な一押しというか、好きな画家3人衆がこの方達
「ルドン」<オディロン・ルドン>
「タンギー」<イヴ・タンギー>
「キリコ」<ジョルジォ・デ・キリコ>

後、番外に「ボス」<ヒエロニムス・ボス>
何故ボスが番外かというと、彼の絵はカテゴリーから行くとシュールレアリスムではないから、、、
何ですけど、此の辺りの話は全く持って「判らない」と云うか、元々余り興味がないので割愛します
ただねぇ
此のシュールレアリスムの系譜に連なる画家達って、モロに私の好みなんですよねぇ
あ、因みにモロと言えば「モロー」も大好物です
<ギュスターヴ・モロー>
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お気に入りの「出現」

ベラスケス<ディエゴ・ベラスケス>  や グレコ<エル・グレコ>
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「女官たち(ラス・メニーナス)」             「受胎告知」

ゴヤ<フランシスコ・デ・ゴヤ>
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有名な「着衣のマハ」      と     「裸のマハ」

ボス<ヒエロニムス・ボス>     ブリューゲル<ピーテル・ブリューゲル>
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   「快楽の園」部分          「雪の中の狩人」
等に始まり、ダリやマグリッドなどの有名処を経て
   ミロ<ジョアン・ミロ>   カンディンスキー<ワシリー・カンディンスキー>
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 「The Melancholy Singer」     「Composition VIII」
等の露骨な抽象画に至る一連の流れに添った画家達は観ていて実に愉しいです
、、、と此処まで紹介して来て一寸面白いと云うか、凄い事に気付きました
ブリューゲルの「雪の中の狩人」とミロの「The Melancholy Singer」以外は全部実物に逢っています、私 ^^;
やっぱり何だな
プラド美術館に行けたのって大きいんだなぁ
最も、湯あたりならぬ「絵あたり」してしまって友人M共々相当グロッキーに成りましたけど
其の辺りのお話しは又の機会に ^^

さて、お気に入り3人衆のお話なのですが
ま、彼等の系譜とか経歴とかは全部Google先生にお任せして、ですね
此処では私の私見と独断で選んだ「絵」の紹介と「感想」で征きたいと思います

先ずは「ルドン」<オディロン・ルドン>ですね
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「光の横顔」
此がルドンの石版画(リトグラフ)の中では何気に一番のお気に入りです
意外と小さな作品でしてね
此ならば一寸そこいらに架けて置いて何の違和感もない、、、と思えるサイズと構図、主題なのですが、矢張りその存在感と一種独特な「禍々しさ」みたいな物が有って、実際に架けたら悪夢に魘される事請け合い! なオーラがガンガン漂っていました
でも、欲しかったですねぇ
あの時思い切って買っておけば良かったかな、、、と今でも少し後悔気味に思います
何せ社会人2年生でしたからね
分不相応な金額に思えたのですよ、諭吉(当時は聖徳太子でしたが)3桁って
因みに展示されていたのは「丸善」の特設ギャラリーです
なんちゃって画廊のシルクスクリーン販売ではありません(笑
念の為
此の人、晩年と云うか、歳を取ってからはこんな色彩豊かで柔らかい「綺麗」な絵も描くのですけど
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   「白い花びんと花」
私の好みは専ら此方側です
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「II.沼の花、悲しげな人間の顔」       「蜘蛛」
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 「そして空から舞い降りた大きな鳥が彼女の頭のてっぺんに襲いかかる・・・」
矢張りと云うか、そう有るべきとでも云うか、な、感じですな ^^;
此等は文学作品に寄せられた「挿し絵」です
まぁ一寸彼の生い立ちをGoogle先生に尋ねて頂ければ、彼の孤独と心の闇の理由を垣間見る事が出来るのではないでしょうか
ルドンのこうした一連の石版画(リトグラフ)は恐らく色んな人に様々な影響を与えた事と思います
例えば、ほら、此なんか特にハガレンの「フラスコの中の小人」にそっくりでしょ?
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「眼は奇妙な気球のように無限に向かう」 「フラスコの中の小人」

次に「タンギー」<イヴ・タンギー>
この人はなんと言うか、ま、謎の画家です ^^;
元々船乗り(商船に水夫として乗り組んだ後、兵役に就いたようです)だった方でしてね
除隊で海から上がった時に「キリコ」の絵を見て衝撃を受け、全くの「独学」で絵を描き始めたと言う変わり種です
何しろ全く美術の経験や勉強をしてこなかった一介の元船乗りが、一枚の絵でこう言う「世界」を画き始めるとか
世の中はまだまだ不思議が一杯満ちています
まぁ、正直なところ個人的にはタンギーもまた、キリコの絵を通して「彼方の世界」を覗き観てしまったヒトだったのでは無いかと想っています
55歳で急逝(脳卒中らしいですが)するまで、彼は少しずつ画風を変えながら一風変わった絵を描き続けました
最終的に行き着いたのが、こう言う鉱物的と言うか無機質的で摩訶不思議な物体が複雑に入り組んで画面を覆いつくした「得体の知れない」絵です
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        「弧の増殖」
最初に此の絵を見た時の衝撃は凄かったですねぇ
何でしょうかねぇ
良く「絵に引き込まれる」と言う形容詞が使われますが、此はそんな生易しい物じゃなかったですね
「お前が居たのは此処だ」「お前は此処から来たのだ」と言う物凄く不思議な感覚でした
私が私として産まれる前の、もっと前の、未だ私が私でも何でもない状態の時に、お前は確かに「其所」に居たのだ! と言う強烈なメッセージを受けたような気がしたんですね
暫く惚けたように絵を見ていたのを今でも覚えています
でもねぇ
其所はなんと言うか、私にとって「快適とはほど遠い」と言うか、決して「心地良い」所では”無い”のですよ
感覚的に辺り一面生温かくて、何もかも手触りが乾いては居るんですが、正体が掴めない程柔らかくぐんにゃりしていて、然も何処まで行っても果てが無く、正体不明な「世界」が拡がっている、、、そんな感じでしょうか
快不快で現すなら「結構、不快」ですね、はっきり
だから「其所」へ「還りたい」とは微塵も思わないのですけど、私の「元」が晒されたような物凄く不思議な「既視感」がありました
然も私はタンギーの絵の実物に未だ巡り会えていません
この強烈なイメージを受けた「弧の増殖」でさえ実は、と或るシュールレアリスム系譜の画集に掲載されて居たのを、たまたま目にしただけなのです
決して高くはない、寧ろ廉価版の其れですら、この衝撃ですからね
実物だったらどうなのか、どうなるのか、何を思うのか、何を感じるのか、と色々考える訳ですよ
ま、実物だからと言って必ずしも図版の写真印刷よりインパクトや得る物が大きいか、というと其処は又微妙なのがこう言う「世界」でもありますから、一概には言えないのですけどね
とは云え、やはり実物は実物です
相性と云うか、作品と作家と受け手の波長が上手く合えば、写真印刷からは伝わって来ない「何か」を巡って絵と色んな対話が出来ますからね
今でも「其処」へ「還りたい」とか「行きたい」とかは全く思いませんけど、何時か「其れ」を「観に」直接征ってみたいとは想っています
作品(絵)と対峙するのが色んな意味で個人的に最も愉しみな1枚ですね、此は
戻って来られるか否かの真剣勝負になりそうな予感満載ですが、、、(笑
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   「無限の可分性」

「キリコ」<ジョルジョ・デ・キリコ>
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「通りの神秘と憂鬱」
「キリコの街」「マグリッドの空」「タンギーの海」は私のもう一つの故郷です
私は「此処」から来ました、「此処」に居ました、となんの衒いも気負いもなく云える「世界」です
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「赤い塔」
キリコとの出逢いはこの有名な作品でした
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「不安を与えるミューズたち」
美術の授業で好きな絵を模写する課題が出た事がありましてね
迷わず此を選びました
模写して感じたのは「意外と画き易い」と言う技術的な側面と、「音無の世界」だと言う物凄く個人的で感覚的な事柄でした
何度見直してもキリコの街って「音無」の世界なんですよね、私には
一切の音が無く全てが流れるようにゆったり動いている世界
一定の風だけが決まった方向に吹き流れて行く世界
時間は止まったも同然な位ゆっくりとしか進まない世界
そして、色んな意味で「永くは居られない」世界
そんな街に降臨したミューズ(音楽・舞踏・学術・文芸等の女神)達の残骸がひっそりと佇む廃墟のような世界を画いた「絵」
いやぁどうにも不健全と云うか、若い中学生が好む絵ぢゃない気がします ^^;
でも「好き」だったんですねぇ
模写していてとても愉しかったのを覚えています
後年キリコは此の手の絵を描くのを一切止めてしまいます
口さがない私に云わせると「非常につまらない大甘で只のロマンティストな画家」になってしまいます
然も其の後に「決して巧くはない」と「成り下がった」と些か悪口めいた愚痴が付きます ^^;
なので余計此の一連の「キリコの街」を画いた作品群は、実は描いたキリコですらほんの一瞬だけ覗き得た「異次元の風景」なのではないかと今でも私に想わせるのですね
彼に、と言うか此の一連の作品群に影響を受けた人は多いと思います
前述のタンギーもそう言う1人でしたし、こんな漫画家まで居ますから

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「久保キリコ」
誰が作ったのかその秀逸なパロディが此方
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                   元ネタは多分此方
                 「ヘクトルとアンドロマケ」
無論、この人もキリコのオマージュですしね
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「死に神の化身 Dr.キリコ」

最期に番外編の「ボス」(もしくボッシュ)<ヒエロニムス・ボス>
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             「快楽の園」
はい!はい!はい!
ひじょ~に判り易い「化け物」達が山ほど描かれていますね ^^;
実は彼も謎の画家です
元々オランダの画家なんですけど、16世紀の宗教改革運動のお陰でその作品の大半が滅失の憂き目にあっています
たまたまスペインのフェリペ2世がボスの絵の愛好者だった為、プラド美術館に此の「快楽の園」を始め10点余りが辛うじて残りましたが、現存するのは30点程ではないかと言われています
其の殆どが聖書に基づく寓話を絵にしたような作品なので、宗教画とも言えなくもないのですけど、何というか色々謎に満ちていましてね
個人的には最も「シュールレアリスム」の名にふさわしいのではないかと思っています
因みに「快楽の園」に描かれているボスの自画像と云われている「部分」が此方
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でもって、其所を「立体化」し、其れに飽きたらず「販売」までして居ると云う現実
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「Hieronymus Bosch ヒエロニムス・ボッシュ - 「悦楽の園」Tree Man のフィギュア」
(ステマ予防の為URLの一部を変えてあります、興味のある方は「ヒエロニムス・ボス フィギュア」で検索下さい)
しかしなんだなぁ
立体化できると言う事は、この構図がボスの頭の中ではちゃんと3次元だったと云う事ですよね
う~~~む
矢張り此は彼が「何処か」で実際に「観た」物達だと想わざるを得ませんな(笑

因みに此等に似合うBGMは(凄まじく個人的に)此方を一押し 
「George Szell conducts Ravel's Daphnis and Chloe: Suite No. 2 」
 George Szell conducts the Cleveland Orchestra
「ダフニスとクロエ」ラヴェル作曲 セル/クリーヴランド

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